「点」と「線」の世界をふと思う。

過去2020年5月13日に書き留めていた、記事をピックアップしています。


投資的な考え方に通ずる話だが、この世界のグローバル市場において、リモートワークがもたらすスタートはどような新しい分野が顔を出すのだろうか? 未知なる未来を見ることは可能だろうか?

それでいて人生において「点」となる目印があり、それは何かはっきり理解出来るのであればどうだろうか。

また何事も目標が決まれば迷いも少なくなる事とされているが。

人生において過去から未来へ、これらに通ずる1つの「線」があるとすれば何だろうか?

大きなチャンスを作りたい。大きなチャンスへ繋がりたいと希望する未来や、世界で活躍を目のあたりにする度に目標とする世界へ繋がれるのだろうか。


その前に経済の視点で考えると世界における生産過程において凄く変化が有る事、まず「データ事業」が基盤なのだろう。

俗に言う国内外でも聞く「AI」は既に浸透してる言葉として、これからくる分野だと言う事は誰でも考えれるこだろう。
その分野はどう言う状況なのか?「データAI」とした事業分野の生産過程において既に一目瞭然に首位にいるのが、アメリカ、次にイスラエル、転々と日本は上位から外れ外れ更に…と言う所で踏ん張っていること…
この業界の偉業を通じて、現在における世界が求める究極イノベーションの形は、「世界を変える」ことなのだ。

アマゾン、グーグー、Facebook、アリババと言った世界的に生活スタイルを根底から変化をたらすした技術に通じるものが各分野求められている。

スマートフォンが無数の部品で構成されるまで、新たなものを除き、いつもどこか昔から各分野で活用されていた部品は「点」に過ぎなかったのだろう。「点」として存在しているものがいつか何処かで寄り添い新たな革新と変わる。

アマゾン、グーグー、Facebook、アリババと言った世界的に生活スタイルを根底から変えようとしている分野が「点」となって世界中を活躍している事は、またこの新たな革新と繋がる時「何が繋がる」のだろうか...

それはさておき世界的な時価総額上位4社の合計が、国内東証1部約2170社の合計をとうとう上回った。凄いことなのだ。

これはテレワークやインターネット通販など新型コロナウイルスで変容した生活様式のありかたや、自動車などの次世代技術での投資余力も大きいことから更に評価を集め始めた事が更に株価を後押しているとされている。投資スケールが目に見えた結果なのだろう。
更にこう言った「データAI」のアメリカの生産過程において既に現時点で事業全体の2割まで産業として既に伸ばして要ること。世界マーケットへ拡散待ちの分野も既にあると言うことなのだろう。

「データAI産業」として既に環境が、無人インフォメーション、対面、会話、認識・認証やコンビニ、旅行事業、各種受付応対など既に「データAI」化されていることなのだ。某国内大学教授の証言だが確立されていることだが、これらは実に日本の環境や知識の約1000倍の差があるとされている。


この教授曰く世界的改革の時期において国内においては色々不足に至る事態とされている、何故なら国内における理工学が約2割しかいないとされていること。事実イノベーションにおける人材がいないのだ。

またこれらはれっきとして戦後の教育上が仇となり「実用向けのアイデア」に乏しい事も要因とし業界で豪語されていること。一般教育現場で育った自身、または世代的に大きく感じ取れる時代となったことなのだろう。

大切なことは「自由な発想とアイデアなのだ。」これらは実に深く、この日本において育た環境に左右され、実社会と反相関している。本来更に必要とされる発想は「実用性」を求められるからなのだ。

国内における「実用性」をもたらす領域は、タブーな領域とされているのだろう。盲点なのだ。

業界においても「実用性」を求めるまでの段階、アイデアとクリエイティブやデザインまたはアートの必要性において「実用的発想の根源」自由な発想に欠けていることを指摘されている。

また国内におけるこの世界的な産業の状況において、この問題がある言えに事実教育分野では教育のやり直しが浮上している事なのだ。

ここで輸入と言う道が必然と生まれる事が不思議なタイミングなのだろう。


アメリカは1000倍先に進み、国内は人材不足により、そして輸入される。それでいて実際アメリカ製のLOT製品など全く輸入されていない事、これはこれで不思議なのだ。

国内は旧体制のまま、放置された環境であってどちらにも進まずの状態なのだろう。

裏を返せば日本は明治維持より常にアメリカやイギリスの良きマーケットになってしまってしまっているから仕方ないのだろうと思えるが…
またこのように自由なアイデアとして「実用性」に掛けるとされているが、国内において「実用性」とは特に表面化されないようになっているのだろう。

昔に教育現場の担当から個人的に教わった環境の話だが、これが面白いのだ。

特に「順位」の決め方について、「順位」とは甲乙あって、実に奥深いものなのだ。人の生死をも左右するのではないかと思える項目なのだ。

世界各国この「順位」に対して忖度ある現場とそうでない現場が著しく伺えること。

それでいて実にそのお国柄を表していたのだ、どういう風に決めるだろうか?

利己的に?好き嫌い?実力に?努力に?凄いものに?自分できめるならどうするか?

実際に赤の他人が決めていることなのだ。


「順位」について昔ある根底を伺えたのだがそれは1位には「情け」を2位には「奇抜性」を3位には「実用性」をと言う決め方なのだ。 さて日本はこの根底通り思い当たる節はあるのだろうか。


この決め方は一例だがこの国の話の重要な所は、「実用性あるアイデア」とは実に世の中に埋もれている事なのだろう。「実用性と言うタブー」とは実に掘り起こす価値がある宝なのだ。

”アイデアが溢れる環境の普及ではなく、まず利権を持ってよいものが必要とし、不要とされていた偏見の世界だったのだろう。” 忖度とは実に一時的な、調整剤に過ぎなく後できっちり自ら首を絞める事が良く伺える事もきのせいだろうか。

それが社会や世界のコミュニケーションの発展において、利権や既存の旧体制の保持より「普及」が必然的に必要になる時もあるのだろう。同時にその歪みはいつも仇となる事もあると思えるのだ。

「発展」や「普及」「需要の拡大」の枯渇原因があるのならば、国内における大きな展望に向け現状求めるられてくる流れは「自由な発想」「アイデア」「デザイン力」「アート性」が今後自然な形で促しがあるのだろう。

その本質は「実用性」と言う可能性を秘めた革新を求めること。タブーを犯しイノベーションし、国内または世界の無数の「点」として将来性を繋ぐものとなるものだ。

投資とはこの可能を秘めた「点」の世界を造り上げる過程だとすると、目につく真新しモノは、その時代には突出し散らばった「点」であり、自分と関係ない見向きされない分野とされること。

更に別に突出した「点」とは、やはり後に、新たな革新と不思議と「線」となって繋がって行くものなのだろう。


「点と点」「線と線」で繋がっていく先に展望していることが少しは見えてくるのではないだろうか。


遠い未来を考える事は難しいことであり、常に個人単位では半歩先まで考えた言動を行なえば良いとされるが、既に経済の課題として世界は既にしっかり「点と線」で予定されていること。

またこのように大きな「点」は遠い先フラクタルに個人単位の小さな「点」まで影響をあえるものとし。

大きな「点」を構築する過程にやはり小さな個人単位の「点」が創出されるのだろう。

それでいて個人単位でも自身の「突出」した要素と、他人の「突出」した要素とは相克しやすいものなのだろう。

可能性を秘めた「点」を見出すか、タブーとして見向きもしないか、あくまで革新とイノベーションを実に身近で行い新たな可能性を味わえるチャンスなのだろう。

人は社交性を高め、沢山の人から暖かい情報に触れ、その中からまた何か繋がる余韻を見出されたなら、やはり「実用性」を創出することは身近から創出さてていくのだ。

どこで忘れ去られた過去の「点」と現在注目の「点」、そしてまだ見ぬ未来の「点」から導き出されるもの

唯一無二の人生に寄与し「価値のある人生」とするものか。

更に個人の環境下において表面出た環境では、生まれ与えられた「課題」そのもの「点」に気づかないのだろう。

いく通り各次元にある「点」が織りなす影響とは時列に考えると面白いものだ。

「物」「お金」「恋人」「友人」「家族」に寄り添うたった1人の人間として与えれた「課題」を「点」とし。

過去を整えないといけない人もいれば、今を整えないといけない人もいる、または未来の為に整えないといけない人も、今は混載しあって生きているだけの日々の人もいるのだろう。

万人課題は千差万別であり、自ずの世界観だけにしか解らない「点と点」を歩んできているのだろう。

自分だけの「線と線」に繋がりが観えてくるのであれば、

俗世の中の「点」として生まれ与えられたオンリーワンの「課題」を見出し、「課題」に喜びを求め感じれるのなら、

その人生とは素晴らしく「自由な発想」「アイデア」「デザイン力」「アート性」を自発的に自身の「課題」に与え、より奥深い実用性を秘めたオリジナルの人生を創出できるのだろうとふと思うのだ。

大きな「実用性」の「点」とは、いつも小さな個人の「実用性あるアイディア」が繋がった結果なのだろう。

もしかすると大きな「点」が観えて来る時、既に自身の人生を創出した「点」であればあるほど

人生の「点」のとはやがて大きな「点」へと繋がり輝かしい「線」となる道をまた歩むことができるのだろうとふと思うのだ。

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