「優生である為に」ふと思う。


過去2020年4月28日に書き留めていた、記事をピックアップしています。

時代に起こる出来事はあたかも必然なのか?

それであっていつも誰かのた為に生きているのか? 

今日昭和の日を思うと、様々な時代の中を生き抜くキーワードは「優生」を思うのだ。

平和を象徴する経済の発展の中、戦争停戦と言う長い月日を平和で生きられている事は間違いなく宝くじに当たった事に匹敵するぐらい嬉しい奇遇に生まれてこれたと言うことなのだろう。

本当にその時代を戦い抜い抜いてくれた国兵に感謝し、今こうして居る事は尊く有り難いことだと常々思えるのだろう。


平和と言う価値のある中、本当の争いもなく、血を血で拭い返す事もない時代だけに、有難い一度きりの人生、十人十色どう人生をどう生きるか?

一度の人生の在り方を考えさせられる。

誰よりも最良な選択肢を選べる時代に大学への叩き上げの道や、発展途上の役割と引き換えに安定した優位性をステータスとしたフィルター社会、かたや叩き上げる為に多くの偏見を糧に、多くの自由に生きる者へ偏見を与えてきた事は間違いなく現代に至って来た事実なのだろう。

大きく築かれ時代は、誰が望んだ時代背景なのだろうか? 

そもそも「価値ある時代背景」として自身の腑に落ちているだろうか。


利権確立の手引きや、教育の役割、全て与えられているものとは。

”正しい道とされながら、現実社会を通じて心と身体には清濁代償がいつもその中にあったはずなのだ。”

葛藤と我慢、意地と偏見を糧に、進んだ先に沢山の幸福の気づき方ともめぐり逢えたのだろう。


こうして停戦期間としては、平和から戦争へと180度人生が変わる現状を味わう事が無い時代だけに、誰も疑問に思う出来事に直面している。


誰かの予定と計画に必要な所に、救いの手が延びていること。WHOの全貌や中国の権威もあらわになり、全世界でみれば、医療制度がない国や島国、民族はもっての他、救いの手など一切ない事は実に悲しいことだろう。


必要に起きていること以上に「救い」とは難しいものなのだろうか?

戦争は自身の「救い」として行う事が出来るのであれば、言わば「聖戦」も自身への「救い」として行っていることになるのだろう。

道徳心以上に、「救い」が普及していると、完結していく事が前提な「平和」であれば、「安心」「安堵」「安らぎ」を求める為の「基盤」が整う事が必然と思えるが、この今生きている自由社会と言う開けた市場の中から「金銭的問題」「医療や介護問題」「老後の心配」など「社会制度」に「救い」があるだろうか?

「平和」もたらす為の「救い」ではなく、「何をもたらす救い?」を構築しているのだろうとふと思える事が多々あるのだろう。GDPが平和の象徴とされた時代、まず「社会制度」から不安要素を取り除いた「救い」ではなく。

まず「GDPと言う平和の象徴の為に、もたらされる「デフレ問題」を考えなくてはならない事が、平和の象徴と言う事になってしまうのだろう。」

「救い」をもたらす「平和」とは、「平和に隠れた問題が常に概念となってしまうのだろう。」本来の「平和」を理解出来ない事が現実であり、あたかも「戦争ない苦しみ」「幸福」とは何か創れないものとなってしまっているのだろう。

現代において「幸福度指数、GNH「Gross National Happiness」 をもたらす社会制度や世界各国の制度のバランスがもたらすものに通じるものは、「精神的負担を軽減していることなのだ」

特に金銭的な概念をどう和らげるか。問題を直視しているようでしていない問題と言えよう。今日のご飯と働き口がそう麻痺さしてくれるからなのだろう。

負担費の流れがもたらす「支払い」、無償と有償の各制度や利用機関によって、「支払い」と言う概念を軽減し、「トータル使用料」と言う概念によって上手く賄っている制度とは利用者への「救い」を構築しているのだろう。

そのように解決の糸口として到達し、豊かさを事実確立していく他国からその培って来たアウトプットとして「優生」として限りなく他国に浸透さしていける力となっている、またはなっていくのだろう。

「不安」や「混乱」「不快」や「負担」がもたらす疲弊とは、現代おいて精神衛生面の悪化がもたらす、成長率の悪化を予測したものが各国多いのだろう。  

汚職による不安や政治情勢の悪化、労働環境の負改善の脱出として、他国へ移住する為のツールとして高学歴の取得が必要な世界の人達に近づいていく日が来ると言えるのだろうか。

「平和」が充実していると思える事とは、まず政治への関心が低下していく事と、精神衛生面に向上をもたらす事が「負担化」していく事であるのだろう。

または利用価値にみあって「負担」はつきもだと言うことか。

遠い未来我々の「救い」に寄与しているかどうかなのだろう。

さてこの歩みの中に、遠い未来まで約束された「優生」を与えてくれているだろうか?

「優生」とはその時の時勢だけで固定するものではないのだろう。いつも「ゆらぎ」を経て変化していくものの中に隠れているのだろう。

「優生」と決めつけるものではないもの、それが「優生」であり続けれるのだろう。

「無料の代償」として「負担」しつづけるありかたとは、この「平和」を形どれる概念であるかどか、いつも問にかけながらまだ見ぬ未来の為に「更なる平和」を築かなくてはならないのだろう。


自ら動くことでその「取り巻き」から「真実」を知り、いつも自分で考えて判断しなくてはならない。

1問にたして1問の回答をお求められて来たからなのだろう、本来30人居れば30人分の回答をある事を幼少期から義務化されないといけないからなのだ。


更に個になればなるほど、「正、清」、「不、濁」を盾に考えてしまうとされる。バラバラは悪なのか?正義なのかと?

精神は大きく振られるとされ、一極を決めることの「負担」とは「精神衛生面には良くないとさえるのだ」

本来こうして精神性や原点復帰やマインドに関する情報の普及のあり方について、自ずと正しい考えを持つ為にしっかり向き合う事なのだろう。特に一極の答えを求めてしまう事ではなく「マルチ・多面的」である事が良いとされる。

世界の秩序の中に、「多様性」がまず大きく認識されていること。インバウト波に揉まれる課題であればまず、海外かぶれとして直面する価値観なのだろう。


政治のあり方、「道」が有るところに、国民の「道」が出来ることとされるだけに、今後「道」がなければどうなるか。国民にとっては考えはどう在るべきか。いつも「新たな道」の中に更なる「優生」が生まれるのだろう。

「優生」は生きている限り、思惑に留まらないものであり。忖度の優生は、その本質から離れたものにしがみついた形であり、何もってして「優生」なのか問うと、「優生」の概念にとどまらない形を追い求めることなのだろう。

遠い将来的な「優生」の進化の先に、残る者であるが、こうしてこのような現在でも「優生」としてどう在るべきか。

種別に「優生」であろうと偽るのではなく、
本当の意味で生き残るべき考えが集まるコミュニティが今後、国や地方分権、地域コミュニティ、個人活動として個別化されるのであろう。「多様性」と言える進化の通過点を極めるのだろう。

その時、現代において「個」でありながら「清濁」に”しがらみ”を抱いている「優生」はどうなるなだろうか?

遠い未来に残る「優生」が今日にその優位性を決まるのかどうかと思ってしまうと言うことなのだ。


良し悪し表裏一体で考えると、個の環境の浸透においては、個のあり方は、紙一重なのだ。集まり過ぎず、近より過ぎず人任せにすることも出来なくなるそんな時代が必ずやってくるのだろう。

お金に支配される時代では無く、個になればなる程、「信用と信頼の時代」が基盤になることも前提なのだろう。

時代背景に新たな「優生」の本質を求められるのだ。現代まで求められて来た「優生」は進化していくのだ、「優生」に留まりは無く。 「優性」を守る為に今をどう在るべきかいつも考え続けていく事だけなのだろう。

何をもって世界との違いを発揮できるか問われる時代の気付きなのだろう。
令和天皇のお言葉で、「在り方」を自身にいつも問うと言う言葉をいつも大切に述べられていたが、個の時代の流れとして「人」として、「日本人」としての「在り方」を問われる時代であれば、されど「この国が優生であるのだろう」とふと思うのだろう。


暗記教育がおわる。偏差値がおわる。実際に数年前から、国内の大学教授が偏差値がなくなる教育を構築中と某大学教授が言っていたが、このタイミングで理解できるのである。
人任せな所がいっさい評価されなくなる。人が作った評価単位の価値が無くなる、その本質と結果を多様性の中でどう協力していくか、個人の力と個人の力の分かち合いが新たな「優生」の目印となるのだろう。


“「また次の時代が望む優生とは?」”大事な所である。


今後展望の先に、昭和や平成にない本来の日本人としての「幸福」の「在り方」を大きく望まなくてならない日が必ずやってくるとふと思うのだ。

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