ちょっとの「熱意」と「チャンス」についてふと思う。


生まれてこの方、社会人になるまでに、世の中でどう生きていくか?

そんな風に自分だけの課題をしっかり持っていただろうかと思うのだ。


生産のない年頃にあった「熱意」とは、何に寄与してただろうかと思うのだ。

本当はやる気と自信に満ちありふれて、可能性と成果を一番手にしたいそんな時期なのだろう。


社会に出ては、「仕事」として食べていく為に、生産性のある時間を過ごす為に考えてきたのだろうか。

どんな言葉を「実社会」の理想として、当てはめていただろうか? 「安定の為」「一度の人生」「夢の為」「自由に生きる為」「家族の為」それぞれの課題や目標となる「言葉」を糧に一つの実社会に集合していると思えば、その織りなし「自己現実」に寄与しているだろうか?


それでいても、社会に出て他者が何に寄与して行動しているか、他者とは到底察しただけの情報だけでは計れないのだろう。仕事。遊ぶこと。家族。彼氏彼女。生きている上でそれ以上に自分と言うタスクを満たす事だけで本来は可能な限り時間を費やしたいものばかりなのだろう。

そう費やす事ができているだろうか。


自身で言うと仕事が趣味と言えば、小さい頃から趣味の域なのだろう。様々な働き方に興味をもち、自身の働きかたに見合った「対価」を形にする事が、人生において最も寄与している事であり、喜びなのだろう。


更に、見つけた「対価」を育てる事に生き甲斐をも感じる事も出来るからなのだろう。


人はマンモス時代では無い限り現代においては、食べていく為に収益として収入源がないと食べたい食糧にもありつけない仕組みなのだ。言うまでもないのだろう。

この食べていくことにどれだけ直線的に近い所にいるかどうか?

大人として今は生産性のない期間は既に過ぎ去っているのだ。


それでいて何故か、働くことについての表現までなら問題も見せないが、お金を稼ごうとする事に否定的な1面を見せる方の意見を現代においてまだ耳する事が多い、現代人おいて危機感とは何なのだろうか?と問えるのだろう。

食事にありつく合間に沢山のカテゴリーが用意さた時代に、マンモスと言う直線的な食事にありつくスキル以外に今の人間にとって可能なかぎり不雑な構造と言うことなのだろう。

危機感はマンモスと戦うことなのだろうか? 現代において働くことに否定的であったり、職種的な偏見を糧に生きようと紐解く複雑さは不要な思考バイアスなのだろう。

今は既に生産的な時間を共有する事がいつでも出来る期間なのだ。

何かあれば別の仕事に切り替え働かなくてならない事もあるのだろう、転身してYouTuberになったりと最近でも良く見かけるだけに、稼いでいても危機感があるからそうすることも正解と言うことなのだろう。


“どうせビジネスなんだろう”と言う意見の先に、ビジネスの先に必要ものが、否定的な物事としてとらえている事は何故だろうか。

稼ぐ=遊ぶもの事という意見も多いが。この不要なバイアスはマンモス時代に無い不要なバイアスと言うことなのだ。

直線的な思考以上に、バイアスが複雑に多いことに気づけるのだろう。


マンモス時代から狩りに出てはその日食べれる食料を探す事から始まるぐらい、働く事として毎日命懸けの狩りをしていたのだろう。今日の仕事をしているだけなら、今日の食糧だけ心配していれば良い話だが、また明日狩りに出ることから始まり、その繰り返しの中生きている毎日なのだ。マンネリ化した仕事はその日暮らしの狩と同じなのだろう。


働くこと、ビジネスに否定的であるとすれば、そもそも働く事が「狩り」ならば、現代人においては働く(お金を稼ぐ)意思がなく。今日の食糧だけを、確保する心配だけしていれば問題ないと思うのだろうか。


生きる課題は様々なのだが、このような思考が基盤にあるのも間違いなのだろう。例えば更に狩りが良くなるように考える事と同じように、現代において更に仕事の「対価」を育てる事が出来る。


今日の仕事しか考えない者と更に求める者とでは必要な物事の以上に、思考が働く「今日働く事は、既に明日の仕事もしていると言う者もいるのだろう。」その同じ事でもちょっとした「熱意」が違ってくる。

バイアス掛かった思考回路から抜け出す「熱意」と、更に「今日の与えられた仕事(狩)以上成果を求める熱意」から明日、そして明後日、1か月とやる気と成果を積み上げていける糧となる「熱意」を生産的な期間に放熱しているだろうか。


今の時代、仕事(狩り)の仕組みとして、生産性のない時代のが結果、社会出て「自己実現」の為に必要な「仕事(狩り)」の在り方に寄与していることもあるが。
だが過去の出来事だけが現状の仕事の仕組みに、寄与しているだけではないと言えるからなのだろう。
それは今からでもその「ちょっとした熱意」がバイアスを溶かし、そしてまだ見ぬ未来の為になるのだろう。


人は様々な「欲求」の段階がありながら日々、生産性のない時間も行動しているのだ。

食べていくことにどれだけ直線的に近い所にいるかどうか?


そんな生産性の無い行動の中から、今日働く以上に明日の仕事もしている事に寄与する事があれば何より良いとされるのだ。

それはここまで話した全ては「人生をより良いものにする為であり、忙しく生きる為の話ではない事」パーツで考えると「忙しさ」だけが残るが、本来は「対価以上に自由な時間を生きる権利があるからなのだろう。」

このブログで紹介している中でよく「チャンス」について紹介しているが、「チャンス」を大切にしている人はいつも丁寧に生きている、それは全てが「チャンス」であり、与える「チャンス」を持っている、そして「貰えるチャンス」の為に常に丁寧なのだ。

そう費やす事ができているだろうか。 他人を計り知れない事以上に自分の心配をしているだろうか?

生産的な生き方であり、非生産的な時間もチャンスと言えるのだろう。

無関心な行動や思考に流れてないだろうか?それは与える「チャンス」を持っていない人であり、「チャンス」も貰う準備がない人と思えることだろう。


そして人生の行動は、まず食べていく事に必要な収入源を確保する事であり。全ての糧になる事なのだろう。


難しい話だけに、空き時間の活用とも言える話だが、日頃マンネリ化しやすい事とは、既に非生産ラインに並んだ予備軍にだけにはならないようにそう思うのだろう。

否定的に捉えられる事がないようにと思うと。必要以上に毎日仕事の在り方を考えたくなる。
世の中のお金だけじゃないと言うことも大事なのだから、更に生産のある行動として、生産性の無い行動が寄与できる時代の旨味を上手く生かし、更なる「自己実現」に繋がればとふと思うのだ。

「すべてはチャンスなのだ」世界はその「チャンス」を狙う。

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