「天秤にかけた判断」についてふと思う。

過去2020年4月15日に書き留めていた、記事をピックアップしています。


昔、縁があり海外の大手企業と国内総代理店の契約を締結が出来た時、輸入業を通じてコンテナの荷物に「保険」を検討する時があったのだ。

マリン・リスク(火災、衝突、暴風、落雷の自然災害)と戦争&ストライキいずれか海上で船に何かあれば荷物を「保証」してくれる「保険」なのだ。 

今コロナで思うと「税金」が「保険料」に思えるのだ、「給付」が「保険金」にも思えるが生きている限りそんな記述はどこにもない話だがふと思える事がある。

備蓄文化が脳裏に過るからなのか、この国に生きているDNAが働くのか「備蓄」の思考と擦り合わせて考えしまうのだ。

話に戻ると、まずこんな「戦争」や「船の転覆」なんぞ、起こらないと思って、いつも断りを考えるが…担当者からすれば「いつなんどき」何が起こるかわからないものを「保証」しておける話だと。

安いものだと様々な例を上げて説明を丁寧にしてくれる、起これば後で解る話といつも話してくれる落ちなのだが。手続きには実際そこに迷いはない話なのだが。

リスクについて、いつも考えておける「保険」とは、リスクが現実的に身に起きないと解らないものに、「ヘッジしておく」となると「備蓄」でありながら投資なのかといつも思ってしまう。

起こるべきでないものを想像や実例から紐解き「備える」こと、統計的に割り当てるのか、本来は毎回未知の確率に対して規定で定められた手続きをしなくてはならないのだ。

いつも生き物に対してなら何も迷わず「おもいやり」で判断できるはずなのだ。あなたならどうだろうか?ギャンブルのように毎回保険を掛ける時もあれば?掛けない時もある?全てにおいて保険を掛ける?対象物によって変える?

と言った感じに千差万別「英断」が変わる場面があるだろう。他者と意見を通じるなら討論になる話なのだろう。

自分ではないが、昨年に羊1万4600匹の羊を乗せた貨物船が「転覆」うち生存羊32匹の羊だったそうだ…

羊のオーナーは「転覆」なんてあり得ない話が、こんなリスクなんて起こるはずがないと思ったことだろう。

そう思うと...数ヶ月前は自粛のない普通の生活だったがどうだろうか。

このような貨物船でも的確な「判断」をしているはずだ。していなければ「保険」で補える「保証」もなければ勿論、当然1万4600匹分の命共々、海に消えていく話である。


そもそもなので、保証で補えないものがあることを、実際に起きてからその重要に気づく時があるのだろう。

このような事態に日頃過る備えはしているかどうかと思うとその「保険」や「備蓄」、「ヘッジ」と言ったものに対して「危機的状況起こる」ものとして、また「危機的状況が次から次に起こる」ことまで考慮し、更に「判断」または更なる「英断」まで備えたものであるべきかどうかと思えるのだ。


「起こらないから大丈夫」

「お起こるか解らない?」

「起こる!」

危機感を想像と実例で紐解く、または統計で紐解く以外に備える選択肢が余儀なくされるのであれば、どうだろうか? どこまで考慮して普段不測の事態に備えれる考えとなるのか。

例えば、この国で不動産投資をするのであれば懸念材のリスクは「地震」だ。ここの国では「地震」は「起こらない?」ではなく間違いなく「起こる」国だ。


また最近4/14のニュースでは、大臣直々、感染の中、中国の軍事的挑発が領空浸入152回、公船がほぼ毎日日本に🗾軍事的な圧力を掛け続けていることを、国民にしっかり認識して頂きたい!とコメントしていたが、この「判断」をどう選択するかなのだろう。危機感がある前兆だろうか?ないだろうか?

シビアでデリケートな回答には、目を向けない事が気になるが、いっそ意識調査したらどのようなリスク回避を事前に施せる回答が上がるだろうかと思えることなのだ。

”大臣直々今後、防衛に力を入れていかなければならないなど”。もはや国民に情報提供していることは、ハイリスクな状態なのだと個人的に簡易的な回答から思えるのだ。

もはや今度は戦争のリスクだとすればどうだろうか?

起こらないだろう?

どうだろう?

いつも考えなくてはならないのだろう。

起こらない未知な世界への「ヘッジ」とは実に奥深く追及出来る世界である。


リスクに対する「保険」がものを言う話だが、いつもリスクが伴う時は、「判断」もはや「英断」が求められる。

イギリスがコロナワクチン開発に「AI」を用いて開発し始めたとイギリス紙に掲載されていたが、これも「時間」の短縮だろうか?

「判断」の連続が余儀なくされる時、早ければ早い程、担ってるリスクは低くなっていく。国難となれば尚更だろう。これも「英断」だろうか。


日本もどうようにAiと言うか、アルゴリズムに知識が集約されつつ日々だが、本当に国民が望むものに答えを出し始めたらどうだろうか?そこに責任も迷いも時間も無いだろうか。


危機的状況下や「保険」や「ヘッジ」に対して、更なる予測不可能な未知な選択を余儀なく必要とする時、人知を超えた「英断」をもたらしてくれるだろうか。

ここで大事なのは人命の救済率があがり、救済活動が終息する過程に短縮をもたらしてくれることによって、人が犯す過ちも無くなるだろうか?


AiやSiriように知識が集約される日々だが、また世界の人々は、SNSを通じて本当の情報を集約しあってる。

オフライン上、「英断」を人員で求めるならどうだろうか。1回1回国民に望む「英断」を2択で意識調査するのであればどうだろうか?

Aiに負けずと奮闘出来るであろうか?

そもそもそんな事してられるだろうか?

Siriに毎回尋ねるだろうか?その成功率が気になるところなのだが。

リスクに対して的確に「判断」すること。Aiが賄える日もそう遠く無いと思えるこの頃だ。

何より、「保険」や「備蓄」、「ヘッジ」先が、多大なる国民の命であればどうだろうか。そこに「Ai」などの判断は必要だろうか?他国のように「最先端技術の判断」を活用する必要があるかどうか。

ただ大切なことは、Aiに「思いやり」はあるだろうかなのだろう「思いやり」があれば、その時は近い将来、人にうって変わって危機的状況を打破してくれる日が確実に実現するだろうなと思ってしまう。


今はコロナの国難の時、…もはや「保証」どころではないのでは?

判断はどうだろうか?

消費税率が著しく下げれない国難に伴い、この危機的状況下で唯一日本だけとのこと。海外メディアの目線は厳しく非難、おまけにゴートゥートラベルとなれば油に水を注いだように海外メディアの目線とは厳しのだ。

本来「英断」の出来る国である以上、出る釘でない一時の策として捉えたい所なのだろう。

過去大戦の「判断」ミスで集団的に玉砕してきた悲劇がある国だけに、過ちがあるなら日々の「英断」こそ茶番劇で終わる事のないことをいつも願うばかりである。「Ai」以上に「Ai」に無い「おもいやり」から「英断」出来るそんな場面を垣間見たいものなのだ。

どんな時もだが、日本列島が羊乗せた貨物船なら、沈み行く貨物船にだけには、なってほしくないとふと思うのだ。

羊にご冥福をお祈り申し上げます。🚢🐑

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