「教育のあるべき姿」についてふと思う。

過去2020年5月9日に書き留めていた、記事をピックアップしています。


今や昔の学級崩壊処ではない動画を見て驚いた。

現在真面目と言う言葉や不良といった概念の構成社会は、社会秩序の構成の為に必要された産物なのだろう。いつも誰かの為に存在し誰かの夢の中なのだろう。現代社会において、概念に捕らわれることがなく、昔の様に叩き上げる為に必要とされた偏見の概念は到底存在しない環境なのだろう。

それでいてそれ以上の学級崩壊なのだ。何故だろうか?

教育の在り方には凄く自身が勉強する過程において幼いながらも当時日々選別するきっかけになるまで多くの長期に渡る矛盾と、個人の信念との与えられる教育との葛藤があっただけに。教育の義務について、ほんとに昔からいつも思うことがある。

個人のスキルは全く持って別ものだとして、海外では大学までが義務化されている所もあるくらいだが、成功と学歴は全くもって別ものとしっかり認識している人が実に多い。それはしっかり成功について理解している事なのだ。

成功に平均もなければ世界の成功とは、叩き上げや成り上がり、奇跡や強烈な努力により、千差万別の形を模様している。

その9割りは失敗の世界から成り上がることなのだろう。

投資の世界でも9割り損する金融商品が前提とすれば実に分かりやすい、稼げる銘柄が解れば投資家は、そもそも苦労しないのだろう。
日本において世界で使わない言葉、「人の平均化」とは呪いなのだろう。

日本において戦前は、小学6年生にして尋常小学校の段階で人生の選択肢、進路の選択が行われていたことなのだ。
理として”人間とはそれぞれ個性があること、何故なら本来より人には差があることが当たり前の話で人を育て教えてたこと。”
出来る子は、出来ない子に合わせると到底前に進められなくなる事ことを前提に、また出来ない子はついていけなくなる事を踏まえより緊張を持たす環境をうまく作ってた事を前提に行っていたのだ。

その差が出てくる年頃(小学6年)には既に人生の選択肢が用意された教育が行われていた事なのだ。
小学校6生として社会で働く事も実に立派な「選択肢」だったこと。そのような社会において人を育てること、小学校6年生で社会に出る事や、そのような選択肢があることで世の中に必要性になったのが「模範師」なのだ。


出来る子には、当時実社会で必要となった模範師としての選択肢もあり、「模範師学校」も小学校6年生を終えると進路としてあったのだ。

先生は模範となる人が前提であり、今の現代社会において進学の先として、または生計の為や先生が好きなだけでは、先生にはなれなかったのだ。
模範となれることが、引き抜きとして抜擢される環境で先生が出来ていた事となのだ。
この当時の先生とは小学校までに出来る子と出来ない子に対して、はっきり伝えてたこと。

出来る子には、引き抜きや進学や模範師の道もあり、また出来ない子はより緊張感をもって取り組めるような環境を手厚くもって人を育ててたのだ。まとめた教育を与えるのだはなく、必要される場所で必要な教育を受ける。

人として「必要性」感じ取れていた時代なのだろう。

また江戸時代より身体障害者へは特に高徳な人として尊く接していた国なのだ。
現代においては、模範となる人材を引き抜くが戦後の政策の改正により、見事に大学や中学や模範学校の先生等は全て除外され、平均化を促進する全体のレベルが低下する政策が根底に作られ教育なのだ。
それまでの教育は、世界を上回る心技体を育てていたのだ。


“世界で行われていない「平均化」なのだ。この「平均化・均等分配」にしようとする呪いの言葉の先には計算された滅びが前提なのだ。”

低下の一方において計算出来る話なのだ。

また平均値、中央組織から出ると人間は「偏見」を生む仕組みとして仕組み化されていること。
こう言った戦後改正によって奪われるものは、「選択」することを考えること。「選択」を尊重すること。これらは人間社会において「選択肢」を奪う政策なのだ。これが現代社会において健康習慣の基盤を崩すきっかけなのだ。特に精神的な劣等感とコンプレックスが生じる仕組みなのだ。


特にこの政策の結果、戦後の文系や経済学が今日の影響に著しいこととされている。大学教育は競争を促し、分配力がない教育をもって本来より国力を低下している現状なのだろう。

確かに経済学を学んだ子達が、当たり前のように卒業と同時にコンサルタントしているのを見た事があるが、”本来世界基準で言えば経営経験を3社または、それ以上しなくては経営コンサルタントとして認められない事も事実異例なのだろう。”
その子達がしていた事は、古来よりある日本の伝統文化、漆器を国外にて大量生産するコンサルタントなのだ。

また神社仏閣などをマネジメントすることなど。お布施の収集力や募金の力が国内では実に宗教に著しく集まるのだ。

拝借的な徴収のマネジメントなのだろう。これを見た時は落胆したのを覚えている。
秩序の根底を守ることでもなく、日本本来をの流れを低迷する事を基盤を辿っている現状だったりしているのだ。

本来の教育をもってすればどうだったのだろうか?このテクノロジーを持って日本人である本来の明るい人生があったと思えるのだろうか。
何百年の間、大昔の大名でも戦乱の世の中において地方文化の衰退や伝統を奪う事や領土没収など一切しないかったのだ、むしろ越えて寄与する事が前提だった事なのだ。大名でもしなかった何百年の文化をこの数十年の近代教育の集大成によって奪い衰退の一方をたどる現代。

テクノロジー社会において不思議に寄与も出来ず、衰退させるのか?とその相関関係が著しく現実化している。


拝金主義としてか、またマネジメントとしてなのか文化を残さない思考が、現代において何百の伝統文化の維持がこの時代に難しいとすることが、本来おかしな方向性なのだろう。

需要と供給と言う人もいるが入れ替わり既存の文化まで閉ざしてまで、拝金することは本来実経済においては報いがあることとされている。


また、事実コンサルタントの勉強としてホテル事業に参加した時があるが、実に人と人の繋がりを基盤とした経営ではない場面など、経験とは無縁な感性だけが目っ立ったコンサルタントを経験したことが事実あることなのだ。全く商店一つ自分でした事があるのかと思うが全く経験がない子達だった。その子達が売上何千万の店のコンサルタントをするのだから凄い話なのだ。

現代において「適材適所」がない環境下において本来より救われなくては、ならない人達が本当に苦しい思いをしている事なのだろう。よって冷徹、無情、神聖差がない人は教育によって完成しているのだろうと思えるのだ。


このホテルに関しては蓋を開けてみて聞いてみるとトップの内部保留の為にコンサルされたが、ホテルのスタッフからの苦情はコンサルタントが入ってからより一層苦しいくなったと言う事だった。
労働時間に怠慢な労働賃金と売り上げを伸ばしたい為に始まった両者の言い分だっただけに。

学歴に情けを持つといつか滅びる日がくるのだろうと思えた事だったのだ。
模範師について、現代において置き換えると良く聞く言葉かある。今ではメンターを持つように学ぶ機会があるが、また国外から入って来た情報のように扱われているが、そもそも昔は小学校6年生で習う国内にあって当然の話だったのだ。精神年齢の著しい低下の原因なのだろう。

フランスでは幼稚園で政治についてどう思うか答える見たいだが、日本では大学生は政治に口を出してはいけないって豪語する人がいるくらいなのだからそれはそれでそう教えられるのだろうか?

こうした実社会の不本意な仕組みや人間模様は実に低下さぜる終えないポイントが沢山なのだろう。
このように「適材適所」を見抜く模範もいなければ、学歴一つの実社会の流れは、れっきとしたGHQの実験結果の社会であることなのだろう。実際にアメリカやイギリスに社会的な制度改正によって破滅している植民地(国)が沢山あること。

模範の師は大金ではなく、模範とは言えば答えれる人がいない事も怖い話なのだ。


また大切なタイミングで言えば事実この戦後改正後以降3世代や4世代目までに金銭的に低迷する過程が実施された政策で計算的に行われている仕組みだから現状の経済社会は戦後の白人の政策通りなのだ。
このタイミングに振り返らなくてならない世代であるのであれば沢山ある事なのだ。

振り替えるどころか、気づかなくてならないのだろう。明治維新より約150年が経過した今だからそこ実に身に付けなくてならない事が浮き彫りになってくる事だなのだ。


現状予後なく退職させられる世代にとってとって、改めて古来より日本の文化に帰り咲く就職活動も視野に促進して欲しいものだと思えるのである。
この「平均化の仕組み」の中、人間として現実を見らない限り、とって作られた偏見を生産する事が多い人になって当然の話なのだろう。

多数で過ごす過程において、競争社会を強いられ平均化された秩序に従わされること、出来事として矛盾を持って当たり前の感覚なのだ。

この感覚が脳や精神に来す刺激物なのだろう。

誰かの間違った夢の中ではいられないのだろう。そうならない為にもここからどうするのか本当に人間として考えれるタイミングなのだといつも今日また明日からでも思えることなのだとふと思える。

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