この世で得たいものついてふと思う。

今現代において、身分制度やカースト制度が取り巻く環境下に
過ごすこと無く生きながらえていることは、宝くじに当たったくらいに等しく価値があるのだろう。

重んじて生きている事があるなら何があるのだろう?
カースト制度を片手に強者のように生きるわけでもなく
身分制度になぞらえてや、百姓や町人、老中や若年寄など様々な身分に隔てられてないはずなのだ。

この現在において主軸となる制度とはなんだろうか?そのような「側面」を意識したことがあるだろうか?

制度を気にせづとも生きながらえる国は豊かな証拠とされ、
政治や様々な情勢に神経を研ぎ澄ますことなく生きられる国は幸せなことなのだろう。

それでいて江戸時代に資本主義や民主主義を知ることもなく、何百年も一国が成りなっていった事は、
紛れもない事実であり、民衆の思考にもその主軸となる思想が存在し、それは現在の資本主義として、
食べていく為に収益を最優先するような思考にいたりながらまっとうな生活を夢描くことだったのだろうか。

ひとまず得る為には独占的な考えが必要で、あたかも、解りやすく計算高さを言葉巧みに表現することだろうか?

習得するものが収益重視であれば、簡単にアウトプットとしてその世界観が構築される。
その世界観を上書きし続けるように、現代の資本主義の乱れた思考を垣間見れるとき。

どんな物差しをかざした結果、そのような相違に気付く事が出来るだろうかとふと思うのだ。

何故わざわざそんな事を考えるのか?

否定的な思考でこの文面を書いているつもりはなく、本来この日本と言う本質の良さを実感出来るものが沢山存在していることを感じとりながら、一択一答の物差しによって違和感を感じ取れる出来事が非常に昨今悲し現状から紐解けるのだ。

何よりよく話題になるのが「自殺者」なのだろう。かつて日本人死者は、310万人(軍人・軍属が230万人、民間人が80万人)に達し、
その9割が1944年以降の戦争末期に集中して亡くなったと推算されるが、何故今日において戦後平和な時代において自殺者によって国民が減少していくのか。

ひとたび戦争と言う戦火において約200万人と言う尊い戦死者のお陰で今日があるが、数十年と言う平和な時代において約30万人と言う国民が減少しているのだ、
平和な時代、明治や大正初期の自殺者とは比にならない数が、現代の死因の大多数を占めるのだろうか。

しながら何故だか行き詰まりを感じる人間が多い事に、不思議とその背景が伺えるからなのだ。

えぐり取ると「自殺者」を容認して生きる時代なのだろうと言う「側面」も伺える。この時代背景とは非常に生き残りをかけた厳しさを物語っている。

少子化が続き自殺者との割合がとある時点で人口を急速に減らす要因となるのだろう。少子化により2023年には数ある短大の廃止が決定していたりと。何より大きく世の中が変わる「側面」を感じざるしかないのだ。

現世において「誰かより」「得をするために」常にこのワードを構築しているのビジネスチックなフォームはキーワードとして正しい「側面」を観ているのだろうか?

本当にこの資本主義のキーワードのように、誰もが生きぬく為に課せられた現在の「フォーム」は多くの「得」をえているのだろうか?
それは、現実的な思考背景と反比例の結果なのだろう。

心許無いことに、このような「自殺者」が表す、思想背景と実体は今日において裏腹の結果なのだろう。
戦争もなく、強制的な制度もなく、「得たいもの」を充足感を満たしきるまで得られていない事は、
何かに限界に達し時代背景とマインドの相違に限界が尽きた結果なのだろうか。このように思う「側面」につきるのだろうか?

資本主義の乱れた思考とは心細いものなのだろうか?
社会が共通して認識する思考には大きな閉塞感をもたらすのだろうか?
今や国民に一貫して通じる思想や理念はなく、まさに自分の身は自分で守ることに尽きているのだろうか?

一択の「側面」囚われていないか?

日本では新潟県松之山町の例が有名なのだ。
高齢者を対象にうつ病のスクリーニング検査を行い必要な場合には面接などを行う。10年の活動後、自殺率はそれまでの3割以下になったと言う記事もある。

また欧米では学校で自殺防止教育をしているところもある。
例えば米国ではカリフォルニア州が1980年代に始めたのを皮切りに各地の高校で実施されている。
生徒だけではなく,教師や親のためのプログラムもあり、
群発自殺を予防するガイドラインも米国にはある。
群発自殺とは,ある自殺が大きく報道されると、そのあとに似た自殺が起きる現象だ。
ガイドラインが強調している以上に、このように取り組んでいる地域や機関が存在していること。

このように「自殺者」は多いと言う「側面」と「自殺者」を減らしている「側面」も存在している

またこのような活動機関などはこのような「側面」も、この時代背景には必要不可欠と気づいていると言うことなのだ。

学歴社会やKYや最近では、マウントと言う言葉をより耳にするようになり。
生きる喜びとしてまた幸せな状態として用いているのだろうか?

本来、誰よりも優位性に満たされ、誰よりも幸せな選択をし得をするはずの道筋に生きてきたなら、
このような言葉が用いられるだろうか。
このような言葉を多く用いることが幸せかどうか解らない?これもそのような「側面」に気づいているかどうかなのだ。
このような言葉が過去、時列に考えると存在しなかった時代が必ず存在している。どうだっただろうか?

本来は、満たされたものごとに囲まれ、
夢のような生活を織りなす思想とは、このようなものであろうかと思うのであるのだが。

現在は、そのような「側面」を見ていたのだろう。

ある言葉で「観自在」と言う言葉がある。

それは、「”全ての事物を自由自在に観ることができること”」

人はそれぞれの考えがあること当然であるが、その同じ時代に同じ世界を生きている者が存在している、
本質は目線がそれぞれ違うことは当たり前の話なのだ。
その世界を自分だけが見ているなら、その世界は間違いのない世界だと思い生きるている事がそのものの人生なのだろう。

だが。

物差しとして、人それぞれだがまた違った人と、その世界が違ったと気づく時はいつだろうか?

同じ時代を生き、同じ風刺背景を見ているつもりでも、ある時他人との観点が自分と違うと知った時はどんな時だろう。

身近で感じ取れる時「他人がいてくれたお陰で、初めて他人の視線の違いが功をなす時なのだ。」

本来、独自の思考は得をえると思い生きてきたが得が全く得がないことに気づいたとしよう。

誰しもが同じ思考だと思い、得をする為に存在している。
また世の中の常識に沿って生きていても何故か常識に沿っていない人も存在する。

それでいて世の中「得をしたい」思考とは違い、実際得を得ている人の思考が「徳をしたい」と思もって生きていたらどうだろうか。常識のなっている「側面」と何故か、得たいものを得ている者の「側面」が違う時、物差しがかわるのだろう。これは例え話だが

1つ1つに見ている「側面」以上に、更に「側面」が存在し続けていること。
必要な世界は1枚の「側面」で終わらないこと。常に上書きされ続けているのだ。

認識した以上なものと認識した以下のものがいつも表裏一体で必ずあることなのだろう。

その物事を自分ひとりで、「観自在」に、
「”全ての事物を自由自在に観ることができること”」に気がつければどうだろうか?

よりこの世の中の深みを覗いたような思考になれるだろうか。

私欲に囚われた視線や、偏見に偏った視線、または、嫉妬や妬みを込めた視線
など、より優れた「一択一答」の思想も素敵だが、よりマルチな思想、柔軟な思想の中に「より人間らしく」
「自分らしく」元気に充足感に満ちありふれた生き方も存在しているのだろう。

この世は、お金が全てと思う思考も素敵なのだ。
または、貧乏でも幸せと思える人生も素敵なのだ。
それいて世の中は、お金持ちでも不幸せな人生も存在し
お金持ちで幸せな人も存在する。
極端の中に必要以上の幸せが見え隠れしている「側面」は事実なのだろう。

それでいて自身がこの上記のどれかに当てはまる必要は「ない」と言うことなのだ。

人生の課題は人それぞれだが、より多くの幸せを経験し喜びを味わえる心でありたいものなのだ。
仕事もプライベートも人間の心は、マーケット戦略の様にフローチャート式では、満たされないものなのだろう。

人間は喜怒哀楽すべてが備わり、すべてを使いこなし喜びに満ち足りた生活を送れる。
一度の人生を一つ二つと喜びを数え観つけられるだろうか?

一枚岩のような「側面」を見ている時、また与えられた時、それ以上に本来は唯一無二の人生の「側面」を織りなせるように生まれてきているのだろう。

今の「側面」を少し変えるだけで新たな人生を歩めるのだろう。

今回ここに書いてる事は、「政宗の皿」の頭文字通り政治、宗教、野球、サラリーと言った話題をもって、
プライバシーや思想、信条観念によって相手と相違や思想を、押し付けを望むものではなく。

「木戸にかけし衣食住」があるように、すべての話題を楽しむ事や、幸せに気づける目線を養い。

ある「一択一答」「側面」だけではなく、様々な他人の「側面」から垣間見れる「幸せ」を見出せる、
また本来「人として」この世に存在する、楽しみを隔てなく共有し気づける、そんな「側面」を観つけてもらえたら何か1つ2つと幸せがすぐ近くにある事を気づけるのだろうと思うのだ。

本来「得をしたい人」ほど、様々な出来事や人を観る目線が、この「決めつけられ側面」に囚われ、損をするフラストレーションを抱えている事が多いことが要因なのだろう。

得たいものは、限りなく見たままの「側面」の裏にいつも観え隠れしてるのだろうとふと思うのだ。

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