日本の「原点回帰」についてふと思う。

過去2020年4月25日に書き留めていた、記事をピックアップしています。

最近メンタルや環境の見直しとして「原点」を見直す流れを良くみかけるが、現代の日本は、長い昭和、平成、令和と時代背景がまったくもって違う世代が存在し、そもそも混同しながら共存している事なのだが、それぞれ時代背景の概念がそもそも違うのにも関わらず、変わらず共通している事も多々あるのだろうとふと思うのである。

その中で。

「原点回帰」という表現は、物事の進行状況があまり良くない時、「原点」に戻ることで「さらに前進」をしようという時に良く回想されるのだが、ポジティブに解釈出来る面、 前向きな姿勢を取り戻すための手段として、何か「原点」となるブレないものを模索する為に、ある基準に戻る必要性があるのだと改めて思うのである。

「原点」を多様な角度で見つめていると。

日本における「DNA」が近代から昔へ「原点回帰」していけるのであればどれ程の優位性があるのかないのか?

凄く気になり考察してみるとやはり面白い。


「原点回帰」と言う流れを辿っていく中で分岐点となるポイントはやはり戦前と戦後でやはり大きく違ったのだ。

戦前から国内における混合的なDNAはほぼほ 固有のゲノム情報を有し、世界で最も古い言語を持つ、世界一古いもとも云われるが、今現在も遥かに混載民族伝統由来の日本人で間違いなにのだろう。

”それゆえ「原因回帰」すればするほど、世界を凌ぐ「DNA」を持っている事を意識して生きれることをつくづく思うのだ。”

これが為に戦前と戦後が大きく変わっていることを踏まえ、教育、食事、運動(鍛)、精神文化と言う「原点がもたらす産物」とは、もしかすると現代人がこれほどまでに現代にいて求めている全てがあるのではないかと思えるのだろう。

なぜ見直すのか?

教育フィルター以外に、必要なものとして道徳心が根底にあるとすれば、各国アイデンティティーのある主張を求める時代だけに、「自国」に愛着をもつことが根底に無いと派生しないのだろう。特に「愛国心」についての教養が無い国としては分け合って珍しい話と思わないだろうか?

主張に欠けることが補えるなら、「原点」にその秘薬があるのだろうか?

改めて日本と自分と共通意思が理解出来る事で、今以上の見識や教養の根底にある道徳心が生まれるのである。

前回の投稿の中には「アイデンティティ」について話たが、国際社会と言うだけに、インバウトの流れやSNSによる国境を越えた繋がり、全くもってどう在るべきか?外国人になることなのか?それとも自国のアイデンティティを他国と共有していくのか? どう在るべきか?このままではまずいと思った小学生時代を思いだすのだ。自身の人生において気づきを与えてくれた課題でもあり、やはり行く先来る先、近い将来不要な後悔だけなのだろうと垣間見れる事があるのだ。


話は戻るがさかのぼると本来「DNA」が持つ力とは、トップ画像に戦前の女性達は「米俵6つ」平気で担げることが、当たり前の身体なのだ。

昔のコンテストの画像らしいが、一俵づつ担いで1日中運んでいた本当の話だから凄い。6俵は約300㎏とすれば、アムール虎1頭か、シマウマ1頭を背負っている事と同じなのだ。ライオンや熊はだいたい約150㎏なのだ。


さらに江戸時代の飛脚なんぞ、東京大阪間を3日で走り終えれる脚とすると。
さらに戦国時代になれば、甲冑兜20kg~60kgに、更に日本刀装備で移動していたと思うと、女性で6俵であれば、男性は遥かにそのDNAを発揮出来ると言うことなのだろう。

それは日本における逸話からすれば、力石など「力」に関係する説や云われた名所が多数ある意味も理解できるのである。

食べ物が無い時代だけに戦前または大昔の男性陣でも筋肉質であり、現代のジムやプロテインが全くない時代とすれば何故だか考えさせられるのである。

戦後の考えは国外に出て、身体を鍛えたり、プロテインを食して鍛えあげられないとオリンピック選手みたいになれないと思っているが、この時代に過剰なタンパク質を摂取せづに、これほどまに重いものを担げることや、速く走れること、または戦える身体が平常時の本来自国の「DNA」なのだろう。

それなら食べ物がよっぽど「肉食」であったかと言うと、その背景には675年(天武四年)4月、天武天皇は「肉食禁止令の詔」を出すなど、歴史背景では度々「肉食禁止令」を発していることも記述から伺えたりするのだ。

これは牛、馬、犬、猿、鶏といういわゆる五畜(仏教用語で「五畜」は「鶏、羊、牛、馬、豚」とも「牛、羊、鶏、豚、犬」とも言われ)の肉食を禁止を行い。

その理由としては、牛は田畑を耕す、馬は人を乗せて働く、犬は番犬となる、鶏は時を知らせる、猿は人間に似ている事から禁止期間を設けるなど、期間は四月から九月までの農耕期に限定されていたと言うのだ。

675年、天武天皇が最初の「肉食禁止令」を出して以来、最後に再度禁止令を発した江戸時代の徳川綱吉が肉食禁止令を出したそれ以降は禁止令こそ出されていませが。

明治天皇が1872年1月1日にみずから牛肉を食べて見せるまで、なんと約1200年の長きにわたり、日本では肉食は「肉食=悪しきもの」という観念が刻み込まれていたのだ。

それでいて海外におとらずアスリートの身体能力を生み出せる身体とは、世界が羨む的だったのだろう。

この「DNA」を持ってして、心と身体の考えようでは、どこまでも生かせるものなのだ。

面白いことに、戦後中国や海外では、生まれた時から真っ先にDNAの検査をして、将来の向き不向きを徹底し、DNAから厳選し伸びる所を伸ばして育ているのだ。


かたや日本は、面白い事に戦後はどうだろうか?


それでいて戦後、添加物や遺伝子組み換えなど、恐ろしい話が浮上する中。多国の戦争兵器の残骸がこんにちの食品に沢山盛り込まれていることは承知の毎日、 これを思うと現代人の食事は、向上志向なのか下降志向なのか。それ次第では、本来の「DNA」を持ってしても人生の在り方が豹変しざる負えない環境なのだろう。

つくづく考えさせられるまでなのだろう。世界と同様に「DNA 」を伸ばす所ではない現状なのだろう。


本来はそのような「害」となる因子が無い限り、

大事なのは”この国における本来持っている「DNA」はよっぽどの事がない限り変異もしないものなのだ。”


「原点の良さ」から比べて観えてくるのがやはりあるのだろう。

この「原点回帰」を基準に考えると、これからの日本と言う国をより良く生きる為には、単なる「生活水準」以上に「生活水準」によって思考的に分別されていくのだろう。


遺伝子組み換えはガンにならないとされているが、アメリカの研究による報告結果は確か約9カ月だったようだが…不信に思った研究者による再調査によると、ちなみに遺伝子組み換えは2年間摂取しつづけたラットは、ガンになったと報告されている。食事をして2年間なのだ。世界水準比べて日本の表記義務が恐ろしいのだ。この国で今や誰が守ってくれるのだろうか?

ちなみにこの調査を行ったアメリカの研究者は現代行方不明になたそうなのだ。


この国の子供「宝」の「価値」を知っているからこそ、本来の「原点」を持ってして更なる良い人生を歩んでいってもらいたいものなのだろう。

本来日本人共通の唯一無二の守るべく「価値」なのだろうとつくづく思うのだ。
しかりとするべきモノは使い様、考え様1つなのだと思うと、ほんと日本人としてもったいない限りの「原点」が存在しているのだろう。

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