「コミュニティに必要なこと」にふと思う。

過去2020年4月23日に書き留めていた、記事をピックアップしています。

最近のジャンルごとで流行りの言葉を気になって検索していると、これほどまでにジャンルの種類と、こんなにもジャンルごとに知らない言葉がある事を改めて思わされる。日頃報道ニュースが伝える言葉を聞いてると耳に入ってくる言葉次第では、大げさに言うと負に落ちずに処理されていいくのだろうと思ってしまうほどなのだ。

聞きなれた環境の言葉によって、人は良くも悪くもその言葉から重要性や解釈まで変えてしまえる事なのだと思うのだ。


ある種コミュニティ内の「会話」だけに浸しんでいると、もはや「意味の無い」共通の言葉が出来あがってしまっている分、普段ニュース間で聞くような言葉も「会話」として処理されるのだろうと思ってしまうからなのだ。

大切なコミニケションツールとして「言葉」の意味を求められることが「対話」とされ、またコミュニティが円滑に回る要素には、この「会話」より「対話」の要素が必要とされるのだ。

誰しも若い時は、自分も含め興味があるものにしか耳を貸さなかったり、自分が意識している言葉しか耳に入ってこなかったと思うのだ。


もともと民族、派生の国だけにもはや各ジャンル形成は、もってしての行動なのだろうか?もとは同じ民でも、言葉の違いを通して考えると各コミュニティとしたジャンルも民族に思えてくるのだ。

人はそもそも8~10人程度の群れを好みコミュニティを1つの枠として意識する傾向が本能に備わっていること、そのようなコミュニティを維持していく要として重要な事は「意味を共有」することが重要とされ「意味」を伝える能力として重要な要素は「対話力」なのだ。


それでいて海外のニュースを見ていると、各国の民衆は「主張」を求め自国のありかたを活動や抗議を通じて発信しているが、いつも権利の主張なのだが、それだけ多くの自由や尊重が失われたいるのだろう。

コロナの中アメリカ民は、ロックダウンに対して命より働きたいと思う「自由な権利」の主張を行った結果、T大統領容認で解除に至った州もある。どのような出来事があっても、その国らしい「主張」を持っていることなのだ。

コミュニティの力なのだ。主体となる「力」に集まることは、その中に「意味を成す」こととされる。

コミニティの在り方を再度客観的に分析できる1つの目線とでもなるのだろう。

コロナに至ってではないが、今現代の日本が一国のジャンル、民族として一丸となって主張できるアデンティティは何だろうか?と思うのである。 「意味を成せる」主張とは?

本来教科書を手に取り学び始める時期に、真っ先に習うべく内容の1つ「愛国心」についてなのだ。今や「愛国心」について習わない国は日本ぐらいなのだろう。見事に戦後の変革により省かれた「世界共通の精神性」なのだ。

是非日本で生まれた意味を持ってしてどう在るべきか、その「愛国心」がどのように作用するか紐解いてほしいものなのだ。

各国、異民族との混載国家は過去何千年間と存在し、その中でもその国の主たるアイデンティティーはブレる事無く「主張」され今日に至っていること。

それも各混載国家でありながら異民族間と言うコミュニティの中で「対話の力」が有効にもたらされる根底にはいつも「尊重」が根底にあるのだろう。

「主張」について排除されている時、個人が尊重されなくなる。それは「尊重」されない時は、いつも「主張」がなくなるのだ。

国、街やコミニティにおける「集まる力」がなくなり、やがてコミュニティの解散や移動が始まるのだ。

この国の主たる共通すべき「尊重すべき主張」とは何があるだろうか。「対話」に必要な要素がなければコミュニティは機能しないのだろう。

またいつも正しくコミュニティが機能し、正しく理解してもらう習慣が世界に存在している。正しく理解し正しく主張する。その為には正しい情報を世界の人はより厳選するのだろう。「対話」が偽りであればコミュニティは脆くコミュニティに必要な「意味」が無い集団となってしまうからなのだろう。

常にコミュニティと言う枠組みが出来た時、その根っことなる「対話する力」「意味を共有する」「尊重がある」基本的な形成に見落としが無いか気を払うのだろう。

危機的な場合、正しく共有するものが浸透しているか、そのコミュニティの質、格と言うべく存在意義が現れるからである。よっていつもそのコミュニティとは健全な情報の共有により清く保たれていることが望ましいのだろう。


話は少し変わるが、コロナの影響で夏休み返上してまで、行うべき?か行わないべき?こういった時でも勉強とはどうあるべきなのかと連日ニュースで報道されているが。

ただまた生徒としては与えられるだけの受け身になってしまうと思うと、一社会の一人一人が存在している尊重に問いかける説明をしてあげることは、このコミュニティの力に繋がっていく「意味」がいつもあるのだろうと思うのだ。

これは手間と時間が掛かる事だが、人を「育てる」事は、これほどに手間と根気がなければ身にならないものなのだろうとつくづく思うのである。凄くいい勉強の機会に見えるのだ。

大人として育てるには、子供の時から「大人として尊重」しなければ大人にならないのだろうといつも思うのだ。子供間として子供である「在り方」を教えれば、身に覚えてしまうことは「子供であること」なのだろう。

子供にアウトプットする過程において、与えることの「意味」を知る事。考えることの「意味」を知る事。正しい情報がなぜ必要かと言う「意味」を知る事と言う風に、「意味」を知る事の重要性は実に大きいのだろう。

実際に海外では、このような取り組みが幼少期から行なわれ、その対応について確かなエビデンスをもとに立派な大人として扱われる国も存在するだけに、「人」一人の「尊重」をしっかり認めているのだろう。

各ジャンルから言葉の在り方を考えみただけの話だが、「ジャンル」とは各「個人の主張」を示す為に存在し、そこには多種多様な言葉を用いて、コミュニティを維持している事を思うと実に面白いことだとつくづく考えさせられるのだ。

どうあっても「ジャンル」=「敵」とイメージで報道されているが、そもそも「敵」が何故必要なのか?と思う。そもそも幸福は敵や隔てた中には無いのであろうとまた考えさせられるからである。

多くの各ジャンルや、異民が暮らそうが、その一つの大局としての「意味」を共有出来る「対話」があればと思うからなのだろう。


 何よりアイデンティティをもって、同一、すなわちオンリーワンと言う日本を「《他ならぬ》それそのものであって他のものではない」という状態を考えていけるかが一国の「アデンティティ」であり、尊重されるべき個の「アデンティティ」となる日が来ればより元気な日本と言うコミュニティでいつもあれるのだろうとふと思うのだ。

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