またニュースで20代の男性が「癌」でこの世から旅立ったと目にする時代。
6人に1人が「癌」時代と言われるだけに、その原因や根底にある要因をある程度理解しているのに、何故か承認しているかのように日々加工食品などを摂取してしまう。
インスタント食品や化学添加物が使われたお菓子やお惣菜をみていると、スパーなので無添加な食品を探す事の方が難しくなって来ているのだろう。
無いから仕方がないのだろうか?。
自身は、加工食品化を、加工(下降)する食品と思って識別している。
それぐらい意識しながら自然なものを出来るだけこだわって食べたいと思うのだ。
また食品だけではなく、洗剤や柔軟剤または化粧品、衣類までも自然なものはなく人工染料や界面活性剤など “内側からも外側からも 化学物質に覆われている時代なのだろう”
または、住まいの環境はどうだろうか。人工接着剤など多く使われた住まいでは、シックハウス症候群が発生するほど。不自然なものでなければ成り立たない環境下におかれているのだ。
ホテルや自然志向の海外に行かないと自然の価値から得られる「安らぎ」や「馴染み」を思い出せないものとなっている。 自然は高級志向となりうるのか。
現在において、過去より微量と思って化学物質を摂取しただけだと思ってしまうが、現代において日本の過剰化している化学物質の食品や衣類または環境において新たな問題が上がって来ているのだ。
それが「PATM(パトム)」という病気なのだ。
戦後、微量だと思っていた化学物質が体内に蓄積し始めてきた現代において、身体の毛穴から化学物質のガスが発生すると言った病気なのだ。
皮膚ガステストをすると、化学物質が発生するガスが検知されており、周りの非化学物質対象者にたいして、アレルギー反応を引き起こす新たな現代病とされている。
科学物質に触れること、摂取する問題以上に自身または他人の存在が「化学物質化」していると言うことなのだ。
また、多くの異臭問題として、新幹線や飛行機など、様々な環境下で人が発生させる「化学臭」が問題になっていきているところなのだ。
戦時中の遺品であり、また化学物質は戦後の経済成長において必要なものであり、また化学物質が生活の細分まで蔓延した時代であり、現代人社会の問題でもあると言うことなのだ。
特に「石油」としてコールタールをネズミの背中に塗った所、やはり「癌」化された研究結果がある。
すべての病気の根底に化学物質おかれている時代に、簡単に理解出来ると思うが「脂肪以上」に化学物質は体内で分解しないものとして理解する事とあるが、自然なものが無くなって来た現代社会において、過敏にまでとは言いがたいが「身体によいもの。よくないもの。」として何が人にとって自然なものなのか、不自然なものなのか。
細胞レベルで判断できる所にまで行き着かなくては気づきにくなって来ているのだろう。
口にするものを考えず口にする時代、この差は個人差に大きく影響するからなのだろう。個人の力を左右する根底に食事があるからなのだろう。
何故下降食品が研究対象として存在しているか?または多くの病気として取り上げられているか知る必要があるか無いか? 病気になるなら、化学食品はの影響は体のどこに影響するかどうか?知らずにベストなパフォーマンスを社会で披露しようとしている。まさにそんな所なのだろう。
食事は個人差の基本としたら、ベストを尽くしているだろうか?
それでいて細胞が「癌」になってからでは人生100年時代なのに、また不自然な人生になってしまってからでは遅いのだろう。100年と言う価値を生きれる時代に、不自然な利害関係の影響が自身に降りかかりやすいと言うことなのだ。
また種子法の改正や、食品がおかしくなって来る時代、自然なものがなくって来ていること。
つい最近では「ヨモギ」が日本において生産性禁止にされたのだ。
自然と言う健康なものへの懸念が多く見られること。正し保護活動では無く「ヨモギ」の利権を持とうとしているだけに、本来凄く身体に良いことを知っていてのことだろう”
とある何千年も存在する健康の指南書があるが、そこに書かれている事全てにおいて、この日本では行われていないと言う事を間の当たりに理解出来る事は残念なことなのだ。
全て逆手に存在していたと言う事実なのだ。
本来健康でる為のもの全てが存在しないこと。無くなって来たこと。健康を守るべき精神衛生に関わる情報が全く存在しないこと。それらを全く根拠を持って共有していないこと。
そうなれば、健康は誰かのモノになるのだろう。
身体に良いもの程、こうして禁止されていると言うことなのだろう。
“ニュースにならない所で、コツコツの自然に良いものが、不自然に変えられてきている。
不自然な事に不自然と言えない事もまた不自然なことなのだろう。
知恵を持ってして学をもってして、これから紐解いていくものが不自然なものでない事を只々祈ることだけなのだろう。
そう「自然体」で生きるアイデンティティを世界は大切にするが、自身が日本で生きて来た体験の中で、ここまで自然体に偏見を持つ思考も珍しいのだろう。不自然な意見としてまた解釈せざるを得ない時代。またこれから求められる目的に目を向けると自然と答えは決まってくるのだろう。求められる優位性を持ってして、またその時代背景を彩るものがいつもあるからなのだろう。
不自然な意見もまた化学薬品と同様に、悪い物は何事も「留まりやすく」「溜まりやすい」のだろう。
自然の流れに任せる思考、行動、訪れる結果とはいつもこの世の自然な流れに任せた方が何事も自然に進み謳歌できるものなのだろう。
100年と言う時代を生きれる時代が自ずとやって来た流れの中で、不自然なものを取り除くことに価値はあると思えるかどうか?あなたの人生の自然体がもつ力を知れるきっかけになるかどうか?
今の時代、また進展を求める中で、「不自然なもの」またこのようなものに意識を向け、取り払うだけで本来の本質が持ち合わせる流れと力が、与えられた人生を良く運んでくれるのだろう。
何事も思い留まる事があれば、またそれは不自然なものを掴みとっているのかもしれないですね。
何より自然であるものは間違いなく人にとって無くてはならないものなのだろうとふと思う所なのだ。