障害者についてふとおもう。

過去2020年5月9日に書き留めていた、記事をピックアップしています。


コロナによって延期になったオリンピックだが、いつもそのオリンピックと同等に盛り上がるパラリンピックについてふと思う。


過去の東京のパラリンピックでは、実際に日本人だけ、協議会より参加否定の扱いだったこと。


戦後において何故なら身体障害においても日本人は世界より遥かに強過ぎたことが原因なのだ。強すぎて別の会場にてパラリンピックではなく「障害者体育競技として日本人だけの競技で終えさせられたこと。」


このように古来より身体障害者に対して遥か昔より尊く扱って来た国なのだ、これは世界に類を見ないことなのだ。

こう言った制度は特に江戸時代より整えられていた事が特に影響しているが、これは特に明治維新後、実に8回も大きな戦争を短期間にしてきた国だけにここまで手厚く制度を整えてたのだろう。

その結果、手足が無くなる事も特に多かった時代にここまで手厚く制度をもって取り組んでこられたのだ。

それは尊く身体障害を扱う事は、江戸時代またはそれ以前より身体障害者は「人一倍綺麗な心で生かされている事をしっかり教育上教えられていたのだ。」

苦労する事は、「高徳な人生を歩む人」として”五体満足な人より苦労すること”を理解する教育なのだ。

それと命ある者として人生の仕組みをしっかり教えていたのだろう。


盲目の人などは、あんま師やそれに見合った仕事が出来るようにしっかり制度として国が取り組んで健全者と一緒に実社会で支え合っていたのだ。

あんま師など仕事が上手く出来ない事はそもそも承知の世の中でいて、それでも家に喜んで迎え入れ、しっかり同等の賃金を上げていたこと。

こういった人にしてもらえれる事が有り難い事とされていたのだ。

何故なら「高徳な人」としてしっかり理解出来ていた時代なのだろう。

古来日本において大昔侍の時代からなのだ、盲目の琵琶奏者「琵琶法師」はご存知だと思うが、琵琶法師も昔の侍にしっかり抱えられしっかり支えられていたのだ。
それでいて戦後の法改正にて、現代においては身体障害は不妊の強制、子供を生んではいけないなど法改正などされていたのだ。

本人の同意が不要な不妊手術を認めていた。手術は医師が申請するかどうかを都道府県の審査会が決めていた。やむを得ない事情があれば体を拘束したり、だましたりしていいと当時の厚生省は通知していたのだ。

とんでもないことなのだ。

何故そうなるのか?この国おける根底をしっかり理解して行っているのか?どうか?


こう言った神聖な人、高徳な人として本来尊く扱っていた国の教育であったが何故そのような扱いをするのだろうか? 

”現代日本において「神聖なものは全て排除されやすい」くなっている事。”

世界的に見ても「神意から人が離れると、人は本来留まらなく暴走するものなのだろう」


岩蔵でロッククライミング。パワースポットブーム。分別なく神社参拝で物ごい。レイラインに高圧線。森林伐採自然破壊。スマートフォンなど電磁波による波長の低下。

深い意味も含め、めちゃめちゃにされている日本なのだろう。

自立ではなく自律に必要な心持ちの在り方が、著しく低下させられていることなのだろう。遥か昔より混載国家日本だけに、日本に見合った軸があるのだろう。

それでいてブレない心持ちが、掛ける原因なのだろうか。


特に世界がひけをとる、誇れる日本人である事をしっかり理解する為にも、それ以上にやり直さなくてならない事が沢山あるのだろう。

五体満足だけに、揃った身体、整った精神が理想なら。

環境が人を変えることも確かにあるが、何より思考を変えることによって、本来以上の人として発揮出来ることが沢山ある民族なのだろう。


だから日本人なんだろうとふと思うのだ。

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